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| サルヴァドール在住の久枝さんを訪ねてブラジルに滞在されていたご両親がついに帰国されました。Mおばあちゃんのブラジル体験記も今回で最後です。 遠く離れてしまっても、サルヴァドールの人たちとおばあちゃんの心温まる友情は、今も続いていることでしょう。 >> Mおばあちゃんのミニアルバムもご覧ください。 |
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| 日本へ帰国 ブラジルを振り返って…
7月19日、日本に帰って参りました。サルヴァドールの空港を出る時は、冬とはいえ気温27度、半袖でも暑いくらいでした。ところがサンパウロに降りた途端、本当の冬。風は冷たく、皆さんコートやジャンパーを着て、私達だけが半袖でブルブルでした。国内線から国際線への移動のバスが来るまでの時間の長かったこと。その時、私達のグループの中に居た或るアメリカ人らしい少年が、自分のリュックからセーターを出して、肩に掛けていたマントのようなものを貸してくれました。お陰様で2人でそれにくるまって、寒さを凌ぐことが出来ました。 滞在中、暑い暑いと言って過ごしてきましたが、今振り返って見ると、楽しかった思い出がたくさんあります。 ブラジルに着いてすぐ、8月31日は、日本からの移住者の慰霊祭と盆踊り大会、大晦日には花火。四方から打ち上げられる大玉、しだれ柳・・・。皆公園でシャンパンを飲みながら見物していました。ブラジルのお正月は元日だけで、2日からはもう普段の生活なんですね。 2月には港町のイタポアンのお祭り。これは1日だけの賑わいのミニカーニバルです。サルヴァドールのカーニヴァルはリオのように派手ではありませんが、5日間、テレビの放映で熱気が伝わって来て、楽しんで見ました。母の日にはバラの花。ショッピングセンターはプレゼントを買う人で長い行列でした。 すばらしいと思ったのは、動植物園でした。自然保護区域になっている植物園の中に動物園が一緒になっている広大なもの。入り口のあたりは、大きな木の茂る植物園で、日本の森の匂いがしました。珍しい動物や鳥を見ながら、約2時間散策しました(園内でアイスクリームや、ポップコーンなどを売っています)。 有名なバッハ灯台には海洋博物館があって、そこには奴隷船の模型があり、たくさんの奴隷が船にぎっしり詰め込まれて連れて来られた様子が図解されていました。その人達の苦労があって、現在のブラジルがあるのだとつくづく感じました。屋上には、貝のコレクションがある、おしゃれなラウンジもあります。 砂糖きび産業の大富豪が州に寄付したと言う、貴金属コレクションでいっぱいのコスタ・ピント博物館も、ヨーロッパ文化の影響を多く残した植民の歴史を物語る興味深いものでした。 この博物館の向かいにも、バイア美術館があります。植民地時代の家具や道具、バイアの芸術家の絵画などが揃っています。 |
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日々の生活では、最初は1人で歩けなかった海岸も(海岸から歩いて5分のアパートに住んでいました)、スーパーまでの30分を歩いて行かれるようになりました。市場へ行けば顔なじみの魚屋さんのおじさん、果物屋のおばさんが声を掛けてくれるようになり、値切ることも覚えました。消費税は16%の内税と日本より高いのですが、物価が安いのでそれほどには感じませんでした。移動に使っていた市内バスは、どこまで乗っても1.30レアル(2003年8月現在)。プラスチック製の腰掛けで、冷房車は少ししかありませんが、窓を開けて走ると涼しい風が入ってきて、日本で考えるほど暑くはありませんでした。バスの時刻表は無くて、ただ待つばかり。
帰る日には、お隣のメイドさんが、「健康で、幸せでありますように」と、ボンフィン教会のリボンの束を持ってきてくれました。お礼に“しおり”をあげたら、「日本の字で自分の名前を書いてくれ」と、手まねで言いました。右隣に住んでいたおばあちゃんは引っ越してきてまだ1カ月ぐらいでしたが、別れを惜しんで、抱いて背中を叩いてくれました。 お国は違っても、人の温かい心に触れた旅でした。健康で、また行く機会があったら、逢いたい人がいっぱいできました。 |
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◇◆◇筆者プロフィール◇◆◇
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