日本からブラジルに移住され、ブラジルの社会・環境問題、移民の記録などを録り続けていらっしゃる映像作家の岡村淳氏が、「ブラジルと日本」について様々な視点からコラムを書いてくださいました。
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ブラジルでおせち料理!
えっ!ブラジルでもおせち料理を食べるの? |
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答えは、シン(ポルトガル語で「イエス」「はい」の意)。
とはいっても、日系人の家庭の話です。非日系のブラジル人家庭では、年末年始の変わった料理といえば、クリスマス・イブに七面鳥などのご馳走を作るぐらいです。
今回は、ブラジルの日系家庭のおせち料理について、私の日系2世の家内の実家からご報告しましょう。
おせち料理作りを仕切るのは、私の義母、家内の母親である続木典江さん。義母は愛媛県の出身。先に移住していた夫の善夫さんの呼寄せで、ちょうど50年前にブラジルへ渡りました。
ブラジルで授かった子供が6人。今では全員が独立して結婚し、孫の数が9人。婿や嫁を入れると一族総勢23人。日本から来た2人で始めて、50年で23人に増えました、と義父の弁。
続木家のおせち料理の準備は12月30日、「本番」2日前から始まります。
何といっても、ここブラジル・サンパウロの正月は真夏、日中は30度を越す暑さとなります。ブラジルのおせち料理作りの秘訣は、第一に料理を傷(いた)ませないこと。その対策として、昆布巻きや煮しめなどは3〜4回にわたって煮込み、そのため味が濃くならないよう、薄い味付けで何度も煮込むというのが我が義母殿がブラジルで試行錯誤の上、習得したノウハウでした。
大晦日になると、離れて暮らす娘や嫁たちもやって来ておせち作りのお手伝い。おままごと遊びのつもりの幼い孫娘たちも参加して続木家の台所は大賑わいです。
餅つき機で作るお餅、煮豆に田作り、サツマイモで作るキントン等々に加えて太巻き寿司、お赤飯、さらにサーモンのマリネ、ローストビーフなどの洋食も作りますので、「孫の手」も借りたいほど。
元旦のお昼過ぎにお雑煮を温めてようやく完成、不肖私が成田空港の免税店で買ってきた日本酒で「おめでとう」の乾杯となります。今年はサンパウロ勢の他にパラグアイ、アルゼンチン、そして日本からも親族が集いました。 |
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お酌をしながら、ブラジル続木ファミリーの半世紀にわたるおせち料理の変遷を義母に尋ねてみました。
サンパウロ州内陸の日系人の多い町に移住してから数年は、生活も安定せず、おせち料理どころではなかったとか。移住後5年ほどして、お正月のご馳走を作るようになり、その頃はブラジル式に豚のローストが定番だったそうです。当時も日本からの輸入物の昆布などはあったものの、高価でとても手が出なかったとか。
移住後10年目にして初めて日本に里帰り、往復とも船旅だったために帰りは昆布や鰹節などの日本食をごっそり持ち帰り、以後はお正月に昆布巻きなどを作るようになったといいます。
36年前にサンパウロの町に引っ越して以来、だんだんと今のようにおせち料理の品数が増えて、人口も増えていきました。
おせち料理に移民史あり。このあたりまで聞いていて、私もだいぶ酔いがまわってきました。まだいただいていない料理がいくつもあります。何と言っても真夏のお正月、料理の日持ちはしないので、急いで食べなければなりません。
ほろ酔い加減で一句。
せち料理
すぐにいたんで
セチがらし
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◇◆◇筆者プロフィール◇◆◇
岡村淳(おかむら・じゅん)
1958年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学専攻卒業。考古学と民俗学から、縄文文化と現代の日本文化の相関を探る。
1982年、日本映像記録センター(牛山純一代表)に入社。牛山プロデューサーにTVドキュメンタリー作りを叩き込まれ、壮大なトラウマとなる。処女作は日本テレビ『すばらしい世界旅行』の「ナメクジの空中サーカス 廃屋に潜む大群」。以降、ゲテモノおよび中南米の取材を主に担当して、大アマゾンの裸族、ピラニア、ポロロッカ等々を扱う。
1987年、フリーとなり、ブラジルに移民。
フリーの番組ディレクターを経て、1991年、小型ビデオカメラを用いたひとり取材に開眼。ブラジルの社会・環境問題、移民の記録にこだわり、作品をNHK、東京MXテレビ、朝日ニュースターなどの日本のTVメディアで発表。近年は自主制作によるドキュメンタリー作りを続けている。
最近作に「郷愁は夢のなかで」(1998年)、「ブラジルの土に生きて」(2000年)、「赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み」(2002年)など。
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