日本からブラジルに移住され、ブラジルの社会・環境問題、移民の記録などを録り続けていらっしゃる映像作家の岡村淳氏が、「ブラジルと日本」について様々な視点からコラムを書いてくださいました。
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異国暮らしが長くなって、ふと食べたくなる祖国の料理。あなたなら何を選びますか?
ブラジルで暮らす私の周囲の日本人に聞いてみると、意外と寿司や天ぷらのような典型的日本料理より、ラーメンやカレー、カツ丼や牛丼といった、いわばB級のメニューの方が多いのです。
おいおい、カレーはインド料理じゃないか、ですって?
国際都市サンパウロにはインド料理店もあります。これは高級レストラン。しかもカレーはさらっとしたスープ状の本場インド風のもの。カツカレーやハンバーグカレー、それに福神漬けか紅ショウガも添えて、となったら…メニューが数ページあるような日本食堂に行くしかありません。あるいは自分で材料を調達して作るか、カレーを知っている日系人に作ってもらうか…
およそ500年前にヨーロッパ人からインドと間違えられた新大陸ですが、我らがブラジルでも意外とカレーの知名度は低いのです。ブラジルの庶民料理の基本は、一皿に米飯、汁タップリの煮豆に肉や魚などを盛付けるもの。しかも強烈なトウガラシの本場でもあるので、カレーライスは当地でも行けそうだと思っていたのですが…
そんなブラジルに「カレー屋のチェーン店を開こう、カレーでブラジル制覇!」の夢を引っさげてやって来た若き日本人がいます。小林大朗さん、33歳。実家は横浜のレストランで、自らもさまざまな飲食店で修行を積んできました。
格闘技ファンでもある小林さんは、日本でもブラジル人との付き合いがありました。そんなブラジル人の多くが日本のカレーが好き、というのを聞いたカレは、カレーな夢に賭けてブラジルにやってきました。
試行錯誤のうえ、2001年1月、サンパウロの高級ビジネス街にあるアウグスタ通りにファースト・フードのカレー専門店「カレー・スパイス・ポイント」をオープンさせました。付近には日本からの駐在員とその家族も多いのですが、小林さんは思わぬジレンマに遭遇します。日本人好みの味にすると、パウリスタ(サンパウロ州人)の多くは辛すぎるというのです。
「ブラジル人はちょっと辛目のストロガノフ、といった感じでカレーを食べるんですね。日本人にもうまい、とうならせるカレーを作れる自信はありますけど、日本人のお客さんは5パーセントぐらい。ブラジル人に迎合した味になっています」と小林さん。
その秘訣をうかがうと、トマトとタマネギを多めにして甘味を増す、などとか。
小林さんは自ら店頭に立って、客の1人1人にカレーの何たるかを啓発してきました。「ブラジル人にはカレーは日本料理と思われているようですね。インド生まれの調味料を使っていても、醤油や鰹節などの日本のダシを使っていますしね。手軽な値段でカレーを食べてもらって、奥の深いカレーをブラジル各地に広めていきたいですね。」
ブラジル人の嗜好に合わせて、テンプラカレーやヤキソバカレーなどの新メニューも誕生しました。
インド生まれのカレーは、日本的味付けを経て、さらにブラジル風に生まれ変わろうとしています。
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CURRY SPICE POINT
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| 場所: |
RUA. AUGUSTA, 1902 A-Loja 01(地下鉄CONSORACAO駅近く)
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| 営業日時: |
月曜から土曜まで(日曜定休)
12時から16時まで
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| 料金: |
ビーフカレー、テンプラカレー、ヤキソバカレー:いずれも6.90レアル(約260円)カツカレー:8.90レアル約340円)
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◇◆◇筆者プロフィール◇◆◇
岡村淳(おかむら・じゅん)
1958年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学専攻卒業。考古学と民俗学から、縄文文化と現代の日本文化の相関を探る。
1982年、日本映像記録センター(牛山純一代表)に入社。牛山プロデューサーにTVドキュメンタリー作りを叩き込まれ、壮大なトラウマとなる。処女作は日本テレビ『すばらしい世界旅行』の「ナメクジの空中サーカス 廃屋に潜む大群」。以降、ゲテモノおよび中南米の取材を主に担当して、大アマゾンの裸族、ピラニア、ポロロッカ等々を扱う。
1987年、フリーとなり、ブラジルに移民。
フリーの番組ディレクターを経て、1991年、小型ビデオカメラを用いたひとり取材に開眼。ブラジルの社会・環境問題、移民の記録にこだわり、作品をNHK、東京MXテレビ、朝日ニュースターなどの日本のTVメディアで発表。近年は自主制作によるドキュメンタリー作りを続けている。
最近作に「郷愁は夢のなかで」(1998年)、「ブラジルの土に生きて」(2000年)、「赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み」(2002年)など。
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