サンパウロ国際空港のチェックイン・カウンターにて。
「切符の行き先がアスンシオンになっていますが、アスンシオンからどこに乗り継ぎですか?」
とカウンター嬢。
「いえ、アスンシオンが目的地なんですよ」
意外な表情で彼女に見つめられます。
アスンシオンは仮にもパラグアイ国の首都。それでも「何にもないところですよ」とこの先、何人もに言われることになりました。
何にもないといわれるところを楽しみ、何かを見つけることこそ、旅の通というもの。なんだか闘志が湧いてきます。
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パラグアイ川に面した白亜の大統領官邸。 パリのルーブル美術館を模した設計といわれる。 |
パラグアイは南米大陸のほぼ中心にある内陸国。わがブラジル、そしてアルゼンチン、ボリビアと国境を接しています。国土面積は日本の約1.1倍、人口は約530万人。日本より一回り大きい国土に、人口は1/24足らず。ふむ。
首都アスンシオンは、西岸にアルゼンチンを臨むパラグアイ川べりの国際貿易港。人口は約85万人。人の数からいくと、日本の地方の県庁所在地ぐらいの感じですね。
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アスンシオンの目抜き通り付近。 右は英雄広場の霊廟。 左はリド・バー、ナマズのスープやグレープフルーツジュースが名物。 |
庶民の買い物市場、メルカド・クアトロ付近のお店。マテ茶グッズ専門店。 |
アスンシオンの空港には知人の計らいで、パラグアイ生まれの日系二世の大学生が迎えに来てくれました。彼が道中、案内してくれます。彼もどこを案内していいのか、思案している様子。さあ、オカムラの趣味が問われるぞ!
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| マカ族の村の手工芸品。女性は同じモンゴロイドだが、肖像権料無料の日本からの研修生。 |
ガイドブックで予習しておいた先住民「マカ族の村」なんかはどうかしら、とかましてみます。首都から車で30分程度のインディオ居住区があると知っては「観光用」を十分承知でのぞいてみたくなります。ちなみにパラグアイは学校教育で先住民のグアラニー語も必修の国。日系二世の彼氏も他国人に聞かれたくない話は、グアラニー語で交わすとか。
町外れにある居住区に入ると、Tシャツと短パンスタイルの男たちが昼間から屋根と柱だけの集会場の下で賭け事に興じています。カモが来たと見て、さっそく部族の飾りを腰や頭に巻く村人も。
「踊りは踊り手ひとりに1万5千グアラニー(約300円)ですよ」と村の世話役。数十人に踊られたら、なかなかバカにならない出費になります。
「踊りはけっこうですから、手工芸品を見せてもらえますか?」
世話役によると村の人口は約800人、主な生業は手工芸品を作って町に売りに行くこととか。
手工芸品は近代建築の集会場の中に申し訳程度に展示してありましたが、なんとこの建物、2001年に日本政府の寄付で建てられたというプレートがありました。
残念ながら食指の動くものはなし。3年前のほこりのかぶったカレンダーを平気で800円ぐらいで売っています。
案内もさせて踊り代も出さずにサヨナラというわけにはいかず、部族の歌と踊りのビデオテープを購入したのですが、これは見事な欠陥品だと後でわかりました。
村を去るにあたって「踊りは必要ありません」と言ったのに、飾りをまとった村人たちはいかにも不服そう。それにしても、日本国民の血税の使われ方と効果のほどを考えると複雑な思いです。
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| 筆者にインタビューした地元の小学生たち。パラグアイの未来を担う。 |
動植物公園のサッカーグラウンド。プロはいずこ? |
続いて市内の動植物公園へ。市民の憩いの緑地でもあります。プロサッカーチームのトレーニングにも使用されているとか。
地元の小学6年生のグループにインタビューされてしまいました。
「この動物園は動物をちゃんと扱っていると思いますか?」
「動物にふさわしい環境だと思いますか?」
質問の志に感じて、「いいセンいってると思いますよ。まだきっとできることがあるでしょうね。」と答えておきました。
パラグアイは薬草の宝庫、園内の自然史博物館には、薬草のコレクションが豊富です。
私はこの博物館の入口にドンと置かれたインディオ女性のミイラに惹かれてしまいました。しかしよく見ると、アルゼンチン産とあります。まあ彼女の現役時代にはパラグアイもアルゼンチンもなかったか。
いろいろオタクな興味の尽きないアスンシオンですが、もっとも感動したのはホテルと朝食でした。
知る人ぞ知る、ホテル内山田。
日系二世の内山田さん夫妻の経営です。ベッドの上に日本式の掛け布団が敷かれています。部屋には、前世紀の日本の週刊誌や文庫本が積まれています。
今年は、パラグアイに日本人移民が入って70周年。
そんなパラグアイ日本人史の、後半の一片を垣間見る思いです。
朝食は日本のビジネスホテルよろしくバイキング形式。焼き魚、八宝菜、サトイモの煮付け、キュウリの酢の物、生野菜に日本製ゴマだれドレッシングと豪華。何よりもたっぷりの大根おろしと梅干が、旅の日本人の胃腸にうれしい限り。
南米の片田舎でこんな日本文化を保ち続けた同胞たち。アスンシオンを基点に、この国の風土と文化、そしてこの地に生きた日本人たちのことをもっともっと知りたくなりました。
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◇◆◇筆者プロフィール◇◆◇
岡村淳(おかむら・じゅん)
1958年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学専攻卒業。考古学と民俗学から、縄文文化と現代の日本文化の相関を探る。
1982年、日本映像記録センター(牛山純一代表)に入社。牛山プロデューサーにTVドキュメンタリー作りを叩き込まれ、壮大なトラウマとなる。処女作は日本テレビ『すばらしい世界旅行』の「ナメクジの空中サーカス 廃屋に潜む大群」。以降、ゲテモノおよび中南米の取材を主に担当して、大アマゾンの裸族、ピラニア、ポロロッカ等々を扱う。
1987年、フリーとなり、ブラジルに移民。
フリーの番組ディレクターを経て、1991年、小型ビデオカメラを用いたひとり取材に開眼。ブラジルの社会・環境問題、移民の記録にこだわり、作品をNHK、東京MXテレビ、朝日ニュースターなどの日本のTVメディアで発表。近年は自主制作によるドキュメンタリー作りを続けている。
最近作に「郷愁は夢のなかで」(1998年)、「ブラジルの土に生きて」(2000年)、「赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み」(2002年)など。
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