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| ジェンネル・アウグストが描いた、1955年の作品。 |
日本では2004年に野口英世博士の肖像が千円札に使用され始め、一時期改めて彼の功績が評価されたのではと思いますが、ここブラジルでも、博士のことについては時折耳にすることがあります。今さらその経歴など書く必要もないくらい、ブラジルでもよく知られている野口博士。
博士は、1921年、当時黄熱病が流行っていたサルヴァドールに来ました。バイア連邦大学医学部の研究室で研究していた当時の模様をモチーフにした絵画が残されています。ジェンネル・アウグスト(Jenner Augusto)によって1955年に描かれたものだそうです。ブラジルにも関係が深かったんですね。
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| 以前の中央研究所 |
実際の研究に使われたという、実験用のテーブル。 |
以前は旧市街のバジリカ大聖堂に併設された「バイア連邦総合大学医学部」(現在、改修工事中)に、当時、実際に使用されていたと言われる実験器具等が保管されているだけでしたが、その功績をたたえて、サルヴァドール市外にある政府の細菌研究所内に「メモリアル・ドトール・英世・野口(Memorial Dr. Hideyo Noguchi)」が開館します。
近く、正式にオープニングセレモニーが行われることになっているこの記念館は、日本領事館が何年にも渡って、記念館落成の為に尽力してきたプロジェクトの一つです。
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| バイア州政府から送られることになっている、表彰のたて |
野口博士を表彰するために、レシフィ日本総領事館、サルヴァドール日本名誉領事館、サルヴァドール日伯文化協会連名で送られた、銅版プレート。
バイア州連邦大学医学部ホールに飾られている。 |
中央研究所の職員と前日本名誉領事エミルトン氏 |
思えば、私が2000年にサルヴァドールに来る以前、主人の故郷に住んでいた頃は日本語を話す人も居なくて、いつしかポルトガル語しか話さなくなっていました。漢字など、殆ど忘れかけていたその頃、立ち寄ったサルヴァドール旧市街で思いもかけずに見つけたのが、博士の貢献を称えた、日本語で書かれた銅のプレートでした。
旧バイア連邦総合大学医学部のホールの壁に納められた、日本語で書かれているそのプレートを見ながら、ふと、郷愁に駆られました。そして、野口博士がどんな思いでこの異国の地で研究に勤しんでいたのかと、しばし思いを馳せました。
当時この地域に日本人は殆ど居なかったはず・・・。
こんな遠くまで来て、ただ同じ人間として人命を救わんと、その研究に励んでいた。 博士の心に、国際人としての広い心が育まれていたからこそ、できたことなのではないかと思われたのです。
人生の最大の幸福は一家の和楽である。円満なる親子、兄弟、師弟、友人の愛情に生きるより切なるものはない
。
(野口英世) |
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| 研究室の表示 |
家族はおろか、日本人すらあまりいなかったであろう地で研究を続ける博士だからこその言葉かもしれません。
サルヴァドールに来られることがあったら、ぜひ、野口博士の南米での足跡をたどって見てはいかがでしょうか。また、新しい発見があるかもしれません。
Laboratorios Centrais de Saude Publica - LACEN
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■筆者プロフィール
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久枝・高橋・サントス
音大卒業後、ピアノ教師に。結婚を機にブラジルに渡る。
現在は、サルバドールの海沿いに暮らし、ピアノや歌、日本語を教えている。 |
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